2015年
2月
28日
土
スーパーで見かけたので、今年も炊きました。
えんどう豆の御飯を、そら豆形の器に盛ってみました。
豆つながりで(笑)
春といえば豆御飯、その次には筍御飯です。
豆を別に茹でておいて、その煮汁で御飯を炊いてから豆を戻すと色よく炊き上がるということで、試みたことがあるんですが、私はやっぱり最初から一緒に炊いたほうがおいしいと思います。
色はこれくらいですけど。
豆の旨味が御飯にしっかり染み込んで、少量加えた塩が、豆の甘味と白米の甘味を引き立ててくれます。
私の父の好物で、これを炊くとよく実家に届けました。
母を亡くしてから元気がなかった父が、これを持っていくと満面の笑顔になって、ほっとしたものです。
それも過去形になってしまったのが寂しいですが、家族の思い出は食べ物でつながっているなと、豆御飯を噛みしめながらしみじみと思う春の夜です。
2015年
2月
20日
金
ショパンは十代のころから体が弱く、いまほど医学が進んでいない時代ですから、はっきりわからない部分もありますが、結核だったようですね。
体調の波はあっても、そういう人生の中であれほどの美しく魅力的な名曲の数々を残したことには驚かされます。
病と闘ったというよりは、共存していたと言ったほうが正しいかもしれません。
ほかの分野でもそうなんでしょうけど、大作曲家の中には病気に悩まされながらも素晴らしい音楽を残した人が少なくないですね。
ベートーヴェンの耳疾や、シューマンの精神疾患も然りです。
ショパンの結核やベートーヴェンの耳疾は、医学の発達した現代なら治ったかもしれませんね。
シューマンの精神疾患は現代でも難しいかもしれないけど、全快とまでいかなくても、少なくとも投薬などで軽快することはできたでしょう。
モーツァルトの死因も、リウマチ熱だとか咽頭炎だとか謎が多いんですけど、一説には、当時は瀉血(悪い血を抜く)という治療法があって、モーツァルトは医師に繰り返し瀉血をされたために、最後は衰弱して亡くなったという話があります。
当時は医学的根拠もなく、こうしたらどうか、ああしたら治るんじゃないかという推測による治療が行なわれていたんでしょうね。
そういう時代はそれだけ人の命が短くて儚いわけで、1人の音楽家の人生の速度とか一日一日の濃さは、現代とは違ったんじゃないかと思います。
そんなことに思いを馳せながら聴いたり弾いたりしていると、より一層、彼らが音楽に込めた思いが胸に迫ってくるような気がします。
2015年
2月
16日
月
先日のEテレの「ショパンの愛のショコラ」の中で、9年間を共に過ごしたショパンとジョルジュ・サンドが別れることになった理由について、「サンドと彼女の2人の子供との揉め事にショパンが口を出したためにサンドの怒りを買った」と言っていました。
サンドにしてみれば、ショパンは共に暮らす恋人ではあるけれども、家族ではないという思いだったのだろうと。
でも、どうなんでしょうね。一緒に暮らす家の中で、サンドと子供たちがたびたび激しく争うのを見ていて、無関係でいるのもなかなか難しかったんじゃないでしょうか。
サンドも性格の強い、主張も強い女性ですから、その子供たちもやはり一筋縄ではいかない子供たちだったのでは。
2人が破局を迎えたのは必然だったのかもしれません。
番組では、ショパンが絹の封筒の中に彼女の思い出の手紙を入れて大事に保管していたと紹介していましたが、サンドのほうはショパンからの手紙をすべて焼いてしまったので、ショパン研究には大きな痛手だったといわれていますね。
今も昔も、男のほうが思い出を引きずり、女のほうは一度壊れたら後を振り返らないということでしょうか。
でも、私は中学生のころに学校の図書館でサンドの「愛の妖精」という小説を読んだことがありますが、やっぱりジョルジュ・サンド(ペンネームだそうです)の名前が今も残っているのは、一重にショパンとの関係においてではないかと思います。
2015年
2月
14日
土
昨夜は、新聞の番組欄でEテレの「グレーテルのかまど」という番組のところに「ショパンの愛のショコラ」とあったので、後で見ようと思い、録画しました。
深夜になって見始めたんですけど、リストの恋愛話なんかが始まって、「ん? ショパンはどうなったの? ショコラは?」と思っていたら、間違えてやはり録画してあった「らららクラシック」の「大作曲家たちの恋愛模様」というほうを見ていたのでした。
深夜だったので、寝ぼけていたのかも(笑)
でも、実はショパンもショコラも吹っ飛んでしまうことが。
リストの「ラ・カンパネラ」の演奏が、何とニコライ・ホジャイノフでした!
見ないで消去してしまわなくてよかった!
(ホジャイノフについては昨年8月27日の記事をご参照ください)
期待を裏切らない鮮やかな演奏でした。
フジコ・ヘミングがこの曲を得意としていますけど、彼女の老練で個性的な演奏に比べて、ホジャイノフのはまさに正面突破の若いっていいなと思える演奏。
時折、微笑みを浮かべて、この難曲を楽しそうに弾いていましたよ。余裕あるなあ。
スタジオだったから、この番組のために出演してもらったんでしょうか。
その次にサティの話になって、「あなたが欲しい(Je te veux)」をピアノ演奏でというので、これは誰が弾くのかと思ったら、高橋アキでした。
「ラ・カンパネラ」はホジャイノフ、「あなたが欲しい」は高橋アキって、こういうのを四文字熟語で言うと、「適材適所」ですかね。
とにかくニコライ君の演奏が聴けたので、大満足で眠りについたのでした。
で、もちろん「ショパンの愛のショコラ」も今朝見ましたよ。
こちらはジョルジュ・サンドが毎朝、体が弱いショパンの健康のためにショコラ(ココア)をつくっていたというお話。
番組ではフォンダンショコラのつくり方を紹介しながら、間にショパンとサンドの物語を差し込んでいました。
フォンダンショコラおいしそうだったけど、とにかく溶かす、泡立てる、混ぜる、凍らせる、型に入れる、また凍らせると、軽く半日はつぶれてしまいそうな。
お友達を招いたときなんか、こんなの出てきたらお洒落だけど、私だったら、やっぱりショコラよりも「さあ、ワインあけよっか」ってなりそう。
興味のある方は、番組ホームページにレシピが載っているそうですよ。
2015年
2月
08日
日
昨日は、フランス語のレッスンの日でした。
宿題があって、J'ai besoin de~(私には~が必要)という表現を使って作文してくるというものでした。
私がつくった文章です。
J'ai besoin de musique,de livre et de vin.
ジェ ブゾワン ドゥ ミュズィク,ドゥ リーヴル エ ヴァン
(私には音楽、本、そしてワインが必要です)
ワインでなくてもいいんですけど。
というか、ワインだけじゃないんですけど(笑)
ちょっと難しかったのは、車のように具体的なものが必要ならune voiture(1台の車)のように、冠詞がつくんですけど、特定されない抽象的なものには冠詞をつけないということでした。
フランス語は、どういう場合なら定冠詞をつけるのか不定冠詞をつけるのかという問題もあるんですが、その上、いちいち男性名詞なのか女性名詞なのかによって冠詞が変わるという点が、初心者にはちょっと難しいですね。
だいたいフランス、ドイツ、中国、スペイン、韓国、イタリア、イギリスは女性名詞で、日本は男性名詞って、だれがいつ決めたんでしょう(-“-)
ちなみに、日本では西洋梨を「ラ・フランス」って言いますけど、それはフランスでは通じないそうです。日本に来た外国人が、何か果物を指して「日本ください」というようなものだそうです。
フランス語で梨は「la poire(ラ・ポワール)」、女性名詞です。
冠詞と名詞をセットで覚えるしかないんでしょうね。
2015年
2月
03日
火
2月3日。
そう、節分ですね。
お豆買ってきましたよ。
でも、もう1つ。
メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809~1847)の生まれた日です。
メンデルスゾーンはユダヤ系の銀行家の子供として生まれ、俗に言う「銀の匙をくわえて生まれてきた」という裕福な環境で育ちました。
同じ時代に生まれながら生涯貧乏で五線紙も買えなかったシューベルト(1797~1828)とは対照的ですね。同じロマン派の作曲家なんですが。
メンデルスゾーンはモーツァルトに匹敵するぐらいの神童だったそうですが、どちらかというと保守的で、あまり革新的なことを好まなかったので、素晴らしい才能の割には評価がいまひとつといわれたりもします。
やっぱり歴史的には、時代を変えたような人のほうが評価されるのは仕方ないんでしょうか。
でも、だれでも聴いたら忘れられないようなヴァイオリン協奏曲ホ短調や、スコットランド交響曲(3番)、イタリア交響曲(4番)など、数々の名曲を残しています。
ピアノ学習者には、何といっても「無言歌集」ですね。
小品6曲が8集で出来ているこの曲集の中には「春の歌」「紡ぎ歌」「狩の歌」など、有名な曲が含まれていて、中級レベルでこれからロマン派の勉強をしようという人の入り口として、愛され、よく演奏されています。
「ロンド・カプリチオーソ」や「厳格な変奏曲」もよく演奏されますね。
それにしても、貧しかったシューベルトも、裕福だったメンデルスゾーンも、命が短いですね。
モーツァルトもショパンも、短い一生の間に、どうしてあれほどの名曲の数々を残せたのかと、改めて驚かされます。
…きょう私は幾つの豆を食べたらいんでしょう(-_-;)