2018年
1月
22日
月
きょうは太平洋側の各地で雪が降っているようで、ここ静岡では滅多に雪が降ることはないんですが、昼ごろ窓の外でふだんは聞かないようなパラパラという音が聞こえたので窓を開けてみたところ、植木の葉に白い小さな粒が落ちて跳ね返っていました。
その後は雨になっています。
昼食後、NHK BSで1月19日に放送されて録画してあった「ミセス・バッハ バロックの名曲は夫人によって書かれた」というドキュメンタリー番組を見ました。
音楽学者のマーティン・ジャービス教授が、バッハの無伴奏チェロ組曲はほかの人間によって書かれたのではないかと考え、研究を続けているという内容でした。
そう疑うポイントが幾つもあるそうです。
大胆な仮説ですね。無伴奏チェロ組曲といえばバッハの作品を代表するような傑作の1つですから。
番組の中では何人もの人物、チェンバロ奏者やイギリスの王立音楽院の副学長、文書の鑑定家、歴史学者などに質問したり助言を仰ぎ、その裏付けを求めていきます。
バッハの妻、アンナ・マグダレーナがバッハの曲を楽譜に書く役割をしていたことは知られていますが、実はアンナ自身が書いた作品が複数あるのではないかという結論に導いていきます。
当時は、女性が表舞台に出ることは難しい時代でもあったようです。
ロマン派の時代になれば、クララ・シューマンのような女性も出てきますが。
そして、この研究を妨げているのが、バッハがアンナに書いた手紙や、アンナに関する多くの資料が何も残っておらず、アンナの肖像画も焼かれてしまったということでした。
バッハにはアンナと結婚する前に最初の妻、マリア・バルバラがいましたが、番組の中では自殺した可能性もあるとしていました。
そして、エマニュエル・バッハを初めとするマリアの子供たちが、アンナの死後、それらの資料を処分してしまったのではないかと示唆していました。
裏付けは難しいでしょうけど、いろんなことが推測できますね。
アンナがそんな音楽的能力をどうして持っていたかということについては、アンナはケーテンでは桁違いの高給を取る優れた声楽家でもあり、12歳からバッハの弟子でもあったということです。
結婚して共に暮らすようになれば、当然バッハを助けて、画家や彫刻家の工房のように、一家で創作活動をして生計を立てていたのかもしれませんね。
音楽史の表舞台に出てこなくても、アンナのような女性はほかにも複数いるのかもしれませんね。
これからバッハの曲を聴くときに、ちょっと聴き方が変わってくるかもしれません。
2018年
1月
17日
水
一昨日、サントリーホールに行った日の記事をもう少し。
東京駅は通過することは多くて、八重洲のほうは少しぶらぶらしたりするんですけど、今回はコンサートまで時間があったので、丸の内方面に行ってみようかなと。
本当は行きたい美術展があったんですけど、月曜日で休館日だったので、東京駅周辺で時間をつぶすことにしました。
2時過ぎに東京駅に着いて、お昼がまだだったので、まずは八重洲地下街にあるラーメンストリートに寄ってみました。
有名店が幾つか並んでいて迷ったのですが、「ちよがみ」さんで塩玉ラーメンを注文してみました。
一口目で魚介系のスープのインパクトが結構強烈でした。
麺は細麺で私の好みです。
もっとあっさりしているのかと思ったんですが、卵も黄身まで味がしっかりしみているし、出汁も塩味もきいていて、満足感がありました。
それから丸の内口近くにある「KITTE」に。
これは郵便局の建物なんですね。
できたときにテレビ番組で紹介していて、一度行ってみたいなと思っていたので、この機会に。
内部は広々と視界が開けて、ちょっとびっくりしました。
吹き抜けになっていて中央は広場みたい。その周囲が回廊になっていて、6階まで服飾や雑貨など、お洒落な店舗が並んでいます。
一軒ずつ覗いているだけでも楽しいんですが、特に物欲も湧かず。それがいいことなのかはわかりません。物欲のない人ばかりでは景気は浮揚しませんものね。
「KITTE」の屋上庭園から。
右手に見えるのが東京駅です。
赤レンガの駅舎が趣きがあっていいですね。
駅の前で写真を撮っている観光客も大勢いました。
寒い日だったので厚着して行ったのですが、駅の中も「KITTE」の中も暖房がきいていて暑いくらいで、喉が渇きました。塩ラーメンのせいもあったかな。
1階のメリーズカフェで宇治抹茶クリーミー・ホワイトショコラを注文して一休み。
メリーズさんなので、チョコレートもおまけについていました。
東京駅も「KITTE」も、レストランやカフェがたくさんあって、気になるお店たくさんありますね。
次はどこに寄ろうかなと、楽しみも広がります。
この後、暮れなずむ街の灯りの中、サントリーホールに向かったのでした。
2018年
1月
16日
火
昨日、ワルシャワ・フィルのニューイヤーコンサートを聴くために、本当に久し振りにサントリーホールに行ってきました。
何年振りだったのか、思い出そうとしても思い出せないくらい(笑)
このビルに入っているお店も大分替わったようで、コンサートの前後に軽食がとれるようなお洒落なレストランが幾つもありました。
私のお目当ては、ポスター右上のニコライ・ホジャイノフの弾くショパン、ピアノ協奏曲1番です。
ホジャイノフのリサイタルは2度聴いていますが、オーケストラとの協演を聴くのは初めて。しかもサントリーホールですから。
ワルシャワ・フィルとは、ショパンコンクールの本選でこの曲を協演しているんですね。
オケのメンバーもステージに勢揃いし、いよいよ開演ベルが鳴った後、アナウンスがありました。
「本日のコンサートは、天皇・皇后両陛下がお越しになります」。
客席がざわめきました。そう言えば警備の人がちょっと多かったような。
そして、右手のドアからSP(?)に先導されて両陛下が入場されると、皆さん自然に起立して拍手が起こりました。
黒っぽいスーツ姿の人たちに囲まれて、銀髪のお2人はそこだけ光が射したように気品ある空気をまとっていらっしゃいました。皇后陛下はサンドベージュのような明るい色のスーツ姿で、髪やお肌の色とよく似合っていました。
左右に会釈をされながらゆっくりと歩かれて、私の数列前の席に着かれました。
演奏は、パデレフスキの序曲から。
このコンサートは、ポーランドの独立回復百周年の記念行事の皮切りだそうで、パデレフスキは作曲家・ピアニストであると同時に、主権を取り戻したポーランドの初代首相だったんですね。
そして、いよいよホジャイノフの演奏でショパン、ピアノ協奏曲1番。
最初はちょっと緊張しているかなと思ったのですが、すぐにいつものニコライ君になって、水を得た魚のように美しい音楽を奏でてくれました。
1楽章のテーマが戻ってくるところや2楽章の抒情的な部分は、まさに詩情溢れて、魂から旋律が湧き出してくるかのようでした。
ショパンの魂でもあり、ピアニストの魂でもあり、分かち難く溶け合っているかのようです。
テクニックも素晴らしく、演奏が終わった後は割れるような拍手と共に「ブラボー!」の声が響きました。
そしてアンコールはホジャイノフ自身の編曲で「ウィリアムテル序曲」。
超絶技巧で思い切り華やかに、そして不協和音も大胆に使った面白い編曲でした。
ニコライ君、花火上げたなと思いましたよ。
花火大会の最後の乱れ打ちみたいで、またまた聴衆を熱狂させてくれました。
この抒情性とヴィルトオーゾの部分をあわせ持っているところが彼の魅力ですね。
リサイタルを聴いても、曲によって少しむらがあったり、ミスタッチもするんですけど、恐れず果敢に音楽に没入していくところが「男の子」という感じで、惹きつけられます。
第1部だけで両陛下は帰られたのですが、第2部の「新世界より」もとてもよかったです。
ワルシャワ・フィルは、シャープでクリアな響きというよりは、温かみのあるいぶし銀のような響きで、ホールもいいし、とても気持ちのいい演奏でした。
両陛下がいらしたこともあり時間的に押していたようで、2部が始まったのが8時半過ぎだったので帰りの新幹線の時間が気になり、4楽章の終わり近いところで後ろ髪を引かれる思いで席を立ちました。
でも、両陛下のお出ましに遭遇することなんてなかなかない経験ですし、同じ空間で同じ音楽を楽しむことができて、思い出に残る素敵な夜でした。
2018年
1月
13日
土
昨日は、フランス語のクラスの新年会でした。
もう1つ別のクラスとの合同で、都合で欠席の方もいらっしゃいましたが、総勢11名とフランソワ先生とで賑やかな会になりました。
もう1つのクラスとは一昨年の忘年会で一緒だったので、2度目の顔合わせとなります。
私たちのクラスより学習歴が長い方が多いクラスで、終了するころは先生と普通にフランス語でおしゃべりしている方もいて、ああ、あんなに自由におしゃべりできたらいいなと、ちょっと羨ましかったです。
場所は、以前も私たちのクラスだけで行ったことのある、呉服町のビストロ・フェルムでした。
左からイベリコ豚のリエット、真鯛のポワレ、デザートの盛り合わせ。
ランチでしたが、オードブルは2つ選べたので、イベリコ豚のほかにもう1つマグロとアボカドのお皿もあったんですが、気がついたらお腹に収まっていました(*_*;
これよくやっちゃうパターンです。
横にカメラ置いてあるのに、お皿が空になってから気がつくという。
ここはお料理がとてもおいしくて、お店の雰囲気もよく、満足できるお店です。
デザートの左上はクレームブリュレ、右上はベルギーワッフルです。
シェフがベルギーに何年かいたそうで、香ばしくて歯ざわりのいい、本格的なワッフルでした。
先生含めて12人ともなると、テーブルも長くて近い席の方としかお話しできませんでしたが、20年以上もフランス語を勉強していてフランスとフランス語が大好きで何度もフランス旅行をしている女性とか、話題も豊富で時間の経つのが速かったです。
80歳という男性も、とてもお元気で生き生きしていらっしゃいました。
フランソワ先生はとても温厚で勉強熱心な方で、「年輩の方がいらっしゃるのは、私にとっても学べることが多くて、とてもいいことです」とおっしゃっていました。
長く続けている方が多いのは、こういう先生のお人柄もあると思います。
風が冷たくて寒い日でしたが、とても温かい、いい会でした。
また皆さんにお目にかかれる機会が楽しみです。
私も先輩方を見習って、焦らずじっくり勉強していきたいと思います。
2018年
1月
05日
金
きょうまでピアノ教室はお休みなので、時間がゆっくり流れています。
2日と3日の写真と記事をアップしておこうかな。
1月2日は、長男家族と久能山へ。
一ノ鳥居から1159段という表参道石段を登って東照宮へ。
久能海岸と見渡す限りの石垣苺のビニールハウスです。
このあたりは昔から、日当たりのよい傾斜地を利用して苺栽培が盛んでしたが、いまは「章姫」という品種を地元農家が開発して、ますます盛んになりました。
Le 2 janvier,nous sommes allés au Mont Kunou.
石段の途中から見下ろすと、登ってきたところがつづら折りになっているのがわかります。
結構きつい石段でしたが、私も4歳の孫も無事登り切ることができました。
大人はわかっているけど、子供は石段がどこまで続くかわからないから、「まだなのー?」と何回か言っていましたけど、元気に歩いていました。
Nous avons monté 1159 escalier en pierre,prié à Toshogu.
東照宮の写真は、私が撮ったものよりこのパンフレットのほうがきれいだったので(笑)、そして博物館の中は当然撮影禁止なので、やはりパンフレットです。
この重要文化財になっている洋時計が素晴らしかったです。
慶長16年(1611年)に海難救助の謝礼としてスペイン国王から徳川家康に贈られたもので、ゼンマイ仕掛けの時打付時計として現存する日本最古のものということです。
大英博物館との調査によって、製作当初のオリジナルのまま保存されていたことがわかったそうで、世界的に見ても価値が高いものなんですね。
色合いも精緻なデザイン、紋様も、見事なものでした。
時計の前に設置されたボタンを押すと時を打つ音も聞くことができるようになっていて、とてもきれいな優雅な音色でした。
ほかにも徳川家の鎧兜や刀剣、西洋諸国との交易で得た品々など、とても見応えがありました。
地元だといつでも見られると思っていてなかなか行かないですけど、こういう機会にじっくり鑑賞できてよかったです。
Ensuit nous avons regardé l'horloge d'Ieyasu Tokugawa dans musée.
Elle était trés précise et splendide.
海の写真ばっかりですが(笑)
3日に長男家族が帰るのに同行して、熱海で途中下車。
私は熱海梅園で日本一早咲きという梅の花を観賞したかったんですが、多数決であえなく却下され、熱海城に行ってきました。
Le 3 janvier,nous sommes allés au Château d'Atami.
熱海城って戦国時代の建造物ではなくて、観光用に建てられたお城なんですね。
それもあって私はあまり興味がなかったんですけど。
中には本物の鎧兜や刀剣が展示されていましたが、前日に久能山東照宮で徳川家の鎧兜や刀剣を見たばかりだし、やはり展示するには入れ物も大事かなと思いました。
でも、展望台からの景色は熱海一だそうで、この写真の右手には初島や伊豆大島も眺望でき、見事な眺めでした。
この景色は本物ですものね。
下のフロアでは景色を眺めながら足湯も楽しみました。
その後、熱海駅近くで食事をし、日帰り温泉にゆっくり浸かって夕方、駅でバイバイしました。
3日間よく歩き回って、よく食べ、よく遊びました。
晴天に恵まれて、どこに行っても海と空がきれいでよかったです。
充電して、またそれぞれふだんの生活です。
Ensuit nous sommes entrés dans une source thermale.
Le soir,nous nous sommes quittés à la gare d'Atami.
Ces 4 jours étaient tellement amusants.
2018年
1月
03日
水
あけましておめでとうございます。
元旦にブログも更新したかったのですが、大晦日から来ていた長男家族をきょうは熱海まで送って、先ほど帰ってきたところです。
よく「来てよし帰ってよし」とは言いますけど、楽しかった4日間は記憶に残し、これでふだんの生活に戻れるのがちょっとほっとするような。
酉年はメジロで締めくくったんですけど、年明けもユリカモメになってしまいました。
元旦は長男家族と清水港から水上バスと路線バスで三保松原へ行ってきました。
天候に恵まれて、海も空も真っ青でとてもきれいでした。
Le dernier jour de lánnée,la famille de mon fils aîné est venue chez moi.
Le 1 janvier,nous sommes allés à Miho-no-Matsubara.
Il faisait beau,la mer et le ciel étaient très beaux.
なのに、富士山の山頂付近だけ雲がかかってしまって、残念でした。
きれいな富士山と青空と紺青の海を撮るって、本当にタイミングが難しいですね。
富士山に憧れて日本にやって来る海外からのお客さんも多いと思いますけど、本当にきれいな富士山を見られるのは、晩秋から冬の間の晴天の日。それでもこの日のように富士山だけ雲がかかってしまったりね。
Mais malheuresement un nuage était suspendu dessus du Mont Fuji.
それでも海も空もとてもきれいで、大勢の人で賑わっていました。
やはり富士山世界遺産の一部に認定されたのは大きな転機でしたね。
あまり人のいない静かな三保松原を見たい気もしますが、これだけ人気があるのは地元ととしても嬉しいことです。
清々しい年明けとなりました。
今年もこのブログ、楽しみながら続けていきたいと思います。
皆様、どうぞよろしく<(_ _)>