2014年
12月
31日
水
きょうは長男の家族も来るし慌ただしくなりそうなので、早目に年の終わりのご挨拶を。
大晦日、フランス語では le dernier jour de l'année(ル デルニエル ジュール ドゥ ラネ)と言うそうです。
単純に「1年の最後の日」ですね。
世界でも日本でも、いろんな出来事がありました。
スポーツ選手の活躍は、勇気づけられるし気持ちがいいですよね。
ノーベル賞の受賞も明るいニュースでした。
そのほかに今年目立ったのは、ゴーストライター事件やSTAP細胞の件でしょうか。
私は、一言で言えば「妄想力」ということかなと勝手に解釈しています。
夢想と現実とのバランスが、おかしなことになっているのかなと。
個人的にもいろんなことがありましたが、とにかく健康で大過なく過ごすことができました。
お教室も、新しい出会いもあれば巣立ちもありましたが、レッスンにみえている生徒さんたちは、それぞれ着実に成長しています。
こちらが元気をもらうこともしばしばです。
来年はさらにみんなで飛躍できるように努力したいと思います。
今年は私のブログ元年でもありました。
初めてのことで手探りでしたが、拙いながらも私なりに楽しく続けさせていただきました。
読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
どなた様も、どうぞよいお年をお迎えください。
2014年
12月
25日
木
先日ご紹介したメイソンジャー・サラダ。
このごろテレビの情報番組でも紹介されていますね。
クックパッドで人気のブロガーさんのレシピというのでつくってみました。
下からパプリカ、ブロッコリー、蒸したトリ胸肉とクスクスをオリーブオイルであえたもの、オリーブ、枝豆、トマト、松の実です。
ドレッシングはレシピどおりのオレンジジュース、オリーブオイル、クミンに、私はレモン汁を少し足しました。
クスクスはパリのホテルのブッフェでもお料理に使われていたし、Eテレのフランス語講座でもクスクスのサラダを紹介していたので、フランスではよく食べられているようですね。
お湯でふやかすだけで簡単に使えて便利。
スーパーにはあまりないけど、輸入食品店で売っています。
食べるときに全部を混ぜると、クスクスで全体に味がからんでおいしくなります。
私はこのドレッシングをもうちょっと改良したいかな。
私の好みではやっぱりもう少し酸味が欲しいので、普通にフレンチドレッシングでいいかもしれない。
クミンも好みが分かれるところですね。
でも、材料とドレッシングの組み合わせはいくらでもあるから、バリエーションが広がります。
2、3種類つくって冷蔵庫か寒いところに置いておけば、お正月にもいいかもしれません。
2014年
12月
24日
水
Joyeux Noël!
(ジョワイユ ノエル)
皆さんよいクリスマスをお過ごしでしょうか。
きょう所用でセノバを通って見かけたクリスマスツリーです。
白い装飾にブルーの光。
清潔な感じでいいなと思って。
Joyeux Noëlは、メリークリスマスと同じ意味です。
先週のフランス語のレッスンで、クリスマスの話題が出ました。先生はフランス北部のご出身なのですが、クリスマスの食事について伺いました。
七面鳥や牡蠣、フォワグラ、サーモン、ケーキはブッシュドノエルだそうです。
木の枝の形のケーキですね。
日本ではなかなか七面鳥は手に入らないですね。
きょうは帰りが遅くなってしまったので、私は明日チキンをオーブンで焼こうと思っています。
クリスマスが終わると、いよいよ年末のお掃除や買い物で慌ただしくなる感じです。
そうだ、年賀状もまだ書いてない(>_<)
何もこんな寒いときに大掃除しなくてもいいのにと思うんですが、これを機にやらないと、ずっと後回しになりそうで(笑)
私は実は暮からお正月の忙しさが過ぎてから、きれいになった家の中で静かに過ごすのが好きなんです。
よい時間を過ごすために、さあ、頑張るとしましょうか。
2014年
12月
18日
木
昨日、クリスマス会で子供たちとミゼレーレを聴いたという記事を書いたので。
ミゼレーレ(Miserere)はグレゴリオ・アレグリ(Gregorio Allegri 1582~1652)によって、1630年代に、旧約聖書詩篇第51をもとに作曲されました。
一方は四声、他方は五声の二重合唱で、ア・カペラで歌われます。
ローマのシスティナ礼拝堂で、聖週間の水曜から金曜にかけて行なわれる朝課の中でも「暗闇の朝課」に際して歌われました。
暗闇の朝課は、午前3時ごろから始まり、ろうそくの灯りを一本ずつ消してゆき、全部消されるまで続くということです。
想像しただけで、神秘的で厳かな空気に吸い込まれていきそうですね。
この曲は、聖性を保つために、楽譜を写したり持ち出すことが禁じられていました。
しかし、当時14歳のアマデウス・モーツァルトがローマを訪ねた際にシスティナ礼拝堂を訪れ、水曜礼拝でこの曲を聴いて、記憶を頼りに楽譜に書き起こしてしまいました。金曜に再度訪れて細かい部分を修正したそうですが。
この楽譜がイギリス人の歴史学者の手に渡り、ロンドンに持ち帰って出版されたそうです。
教皇は、それを知ってモーツァルトを召喚しましたが、彼を非難するのではなく、その才能と神業を絶賛しました。
これ以降、門外不出の禁令は撤廃されたそうです。
現代だったら、著作権を巡って裁判になったりするんでしょうか。
でも、モーツァルトは楽譜を盗み出したわけでもなく、写したわけでもないですもんね。
耳で聴いて全てわかってしまうなら、もうお手上げということでしょうか。
それに、楽譜があったとしても、ア・カペラで二重合唱なんて、とてもとても難しくて、気軽に合唱大会で歌うなんてできないですよね。
システィナ礼拝堂の聖週間という、その空間と空気も特別なものですものね。
モーツァルトのこのエピソードも面白いですが、それより何より曲自体が、魂が高みに引き上げられていくような美しさです。
2014年
12月
17日
水
きょうは一足早くお教室のクリスマス会をしました。
これまでは土曜日の午後にやっていたのですが、いざ日時を決めようとしたら、「土日でないと無理」と言う子がいたり、「土日は無理」という子がいたりで、こんな平日の午後5時半からという微妙な時間に(笑)
去年まではお菓子とジュースを用意しておけばよかったけど、5時半はお腹がすく時間ですよね。
なので、とりあえずアレンジパンをたくさん焼いて、大鍋でシチューを煮込みました。
まずは一人ずつクリスマスソングなどを演奏。
それからCDで音楽鑑賞。
曲は私が大好きな、アレグリの「ミゼレーレ」にしました。
私はクリスチャンではありませんが、西洋音楽における教会音楽の意味や、クリスマスの意味を考えると、やはりクリスマスは静かにこういう音楽を聴くのがふさわしいかなと。
照明を暗くし目をつぶって、若干無理はありますが、システィナ礼拝堂の中で聴いているという気持ちでみんなで音楽に耳を傾けました。
ふだんは1対1のピアノのレッスンで、なかなかこういう機会もないですから。
みんな集中して聴いていました。この曲の美しさは、子供たちにも伝わったようです。
それから焼き立てパンとシチューでささやかなクリスマスディナー。
あとはお菓子とジュースで盛り上がって、ゲームをして遊びました。
以前は発表会のリハーサルも入れ替え制で、とてもこんな会はできませんでしたが、今は少子化のおかげ(?)でこんなアットホームなクリスマスができます。
少子化も悪いことだけではないと、前向きに考えることにしましょう。
2014年
12月
13日
土
少し前に、ことわざをフランス語に訳してみましたが、今回は古今和歌集から易しそうなものをフランス語にしてフランソワ先生に見ていただきました。
私の訳したもので大体合っているということでした。
五七五七七の字数に合わせるのはとてもできないので、意味を訳しただけですが。
今来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな 素性法師(そせいほうし)
Parce que tu as dit "J'irai te voire tout de suite",je t'attendais.
パルスク テュ ア ディ ジレ テュ ヴォワール ト ド スイット,ジュ タンタンデ
Maintenant je regarde la lune pâle du matin d'octobre.
マントノン ジュ ルガルデ ラ リュヌ パール デュ マタン ドクトーブル
長月は旧暦で9月ごろですが、新暦では10月ごろなので、octobreとしました。
有明の月(la lune pâle du matin)が難しかったですね。
(la lune…月 pâle…青白い・光が弱い matin…朝)
いろいろ調べたけど、こういう表現しかないみたい。
有明の月って、こういう恋の歌の中では象徴的な言葉ですね。
この歌の場合は、すぐに行くからと言う男を待っているうちに、夜も明けかけて空に白い月が見える時間になってしまったという情景ですが、逆に訪ねてきた男が有明の月がかかって去っていく時間になってしまったという場合もあります。
素性法師は男性ですが、女性の立場になって歌を詠むのが上手だったそうです。
女性が自由に出歩くこともままならず、電灯もテレビもラジオもない時代です。
もちろん携帯電話なんてありません。
女性は月を眺めながらひたすら待つだけなんですね。
きょう訪ねてきた男が、次にいつ来るのか来ないのかもわかりません。
うーん、何とも切ない…(-_-)
でも、こういう深い情念が、文学になったり音楽になったりするんですね。
2014年
12月
09日
火
きょうの朝日新聞の朝刊に、興味を引く記事が載っていました。
「ショパン 祖国に眠る心臓」というものです。
当時、ショパンの祖国ポーランドは、ロシアなどの分割統治下にあり、フランスに移住したショパンが帰国するのを許さなかったので、39歳で亡くなるまでショパンは祖国に帰ることができませんでした。
最期をみとった姉が、遺言を受けてショパンの心臓をドレスの中に隠して持ち帰ったそうです。
ワルシャワの教会の柱の中に安置されたその心臓が、今年4月に極秘に取り出され、調査されたという記事でした。
調査結果を発表した医大の教授によると、保存状態は完璧で、新しい発見もあったそうです。
ショパンは結核で亡くなったとされていたのが、後に「のう胞性線維症」の可能性があるとされ、でも今回の調査では心臓の表面に結核の特徴である白い斑点が認められたので、結核説が再び強くなったそうです。別の病気を併発していた可能性もあるそうですが。
第二次世界大戦中に一旦は何者かによって持ち出され、その後、独軍将校によって返還されたそうで、その様子はナチスによって記録映像になり、プロパガンダに利用されたと記されています。
このときにほかの人の心臓とすり替えられた可能性はないんでしょうかね。
上手な作家なら、ショパンの心臓を巡って面白い小説が1つ書けそうですね。
ヨーロッパでは一部の身分の高い人や有名人が遺体と心臓を別葬することがあったそうで、おかげでこういう研究が成り立つんでしょうね。
でも、私自身は、クリスタルの瓶の中で黄金色の液体の中に浮いているというそのピンク色の心臓よりも、やっぱり彼の音楽そのものがショパンの魂であり肉体ではないかと思います。
彼にしか生み出せない独特な韻律にショパンの心や体温を感じ、フレージングに呼吸を感じることができます。
死後165年が経ってもなお、演奏されることによって、音と共にショパンの情念と、肉体すらも立ちあがってくると思えるのです。
2014年
12月
03日
水
先日、バレンボイムとアルゲリッチの共演について書いたので、この本のご紹介を。
オリヴィエ・ベラミーという人が書いたアルゲリッチのこれまでの人生。
なぜこういう副題がついているのかは、よくわかりません(笑)
とにかく「天才」という呼び名がこれほどふさわしい人は、そういないんじゃないでしょうか。
テクニックも音楽も、すべてが自由で天衣無縫、心のままにほとばしる感じですよね。
私は、彼女が上野の文化会館で小澤征爾指揮、新日本フィルと共演したショパンのコンチェルトが忘れられません。
まだ長男が小さくて、東京に住んでいたころですから、相当前ですが、2楽章が始まったとき鳥肌が立ったのを今でもはっきり覚えています。
後から音楽雑誌でも「歴史に残る名演だった」と書かれていました。
少女のころから天才の名をほしいままにして、16歳のときには数日の間に2つのコンクールで優勝してしまったり、24歳でショパン・コンクールで優勝したり。
この本を読むと、彼女の周りの綺羅星のごとき交友関係の音楽家たちや、3度の結婚と離婚、メラノーマで手術を受けて闘病したことなど、彼女のこれまでの人生の一端を垣間見ることができます。
お嬢さんが3人いるけど、それぞれお父さんが違うんですね。
ロバート・チェン(作曲家・指揮者)、シャルル・デュトワ(指揮者)、スティーヴン・コヴァセヴィチ(ピアニスト)。
これほどの天才ですから、向かうところ敵なしかと思いますが、若いころコンサートのキャンセルが多かったのは、演奏に対してナーバスになることがよくあったようですね。
最近はソロよりもアンサンブルが多いのも、彼女のそういう面と、人が好きという側面のあらわれかもしれません。
とにかく豪華な音楽家の名前がおびただしく出てくるので(笑)、音楽好きな人には楽しめる1冊だと思います。