ミセス・バッハ

きょうは太平洋側の各地で雪が降っているようで、ここ静岡では滅多に雪が降ることはないんですが、昼ごろ窓の外でふだんは聞かないようなパラパラという音が聞こえたので窓を開けてみたところ、植木の葉に白い小さな粒が落ちて跳ね返っていました。

その後は雨になっています。

 

昼食後、NHK BSで1月19日に放送されて録画してあった「ミセス・バッハ バロックの名曲は夫人によって書かれた」というドキュメンタリー番組を見ました。

 

音楽学者のマーティン・ジャービス教授が、バッハの無伴奏チェロ組曲はほかの人間によって書かれたのではないかと考え、研究を続けているという内容でした。

そう疑うポイントが幾つもあるそうです。

大胆な仮説ですね。無伴奏チェロ組曲といえばバッハの作品を代表するような傑作の1つですから。

 

番組の中では何人もの人物、チェンバロ奏者やイギリスの王立音楽院の副学長、文書の鑑定家、歴史学者などに質問したり助言を仰ぎ、その裏付けを求めていきます。

バッハの妻、アンナ・マグダレーナがバッハの曲を楽譜に書く役割をしていたことは知られていますが、実はアンナ自身が書いた作品が複数あるのではないかという結論に導いていきます。

当時は、女性が表舞台に出ることは難しい時代でもあったようです。

ロマン派の時代になれば、クララ・シューマンのような女性も出てきますが。

 

そして、この研究を妨げているのが、バッハがアンナに書いた手紙や、アンナに関する多くの資料が何も残っておらず、アンナの肖像画も焼かれてしまったということでした。

バッハにはアンナと結婚する前に最初の妻、マリア・バルバラがいましたが、番組の中では自殺した可能性もあるとしていました。

そして、エマニュエル・バッハを初めとするマリアの子供たちが、アンナの死後、それらの資料を処分してしまったのではないかと示唆していました。

裏付けは難しいでしょうけど、いろんなことが推測できますね。

 

アンナがそんな音楽的能力をどうして持っていたかということについては、アンナはケーテンでは桁違いの高給を取る優れた声楽家でもあり、12歳からバッハの弟子でもあったということです。

結婚して共に暮らすようになれば、当然バッハを助けて、画家や彫刻家の工房のように、一家で創作活動をして生計を立てていたのかもしれませんね。

 

音楽史の表舞台に出てこなくても、アンナのような女性はほかにも複数いるのかもしれませんね。

これからバッハの曲を聴くときに、ちょっと聴き方が変わってくるかもしれません。