この前の記事で、リストの「ラ・カンパネラ」が私の手には向かないということを書いたので、その流れで。
要するに、私の手は少し小さめで華奢なんです。1オクターブは届きますから、そんなに特別ではないですけどね。
そして、「ラ・カンパネラ」は10度(1オクターブ+2音)が速い速度で連続する曲なので、手の小さい人には圧倒的に不利な曲です。
10度が届く人にとってはどうということない箇所で、手が小さいばかりに七転八倒することになりますから。
その手の大きさのことで、昔、ちょっと面白い経験をしたことがあります。
当時、私は声楽の先生の伴奏をさせていただいていて、その方が中田喜直さん(1923~2000)作曲の「六つの子供の歌」を演奏会で歌うというので、中田先生の都内のご自宅にレッスンに伺うことになり、伴奏者として同行したことがあります。
中田喜直さんと聞いてわからなくても、先生の「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」「雪の降るまちを」などの歌を歌ったことのない人はいないんじゃないでしょうか。
先生は初めはピアニストを目指していたそうですが、手が小さかったために断念して作曲家になられたそうです。
その先生のご自宅に、鍵盤の幅が少しずつ狭くなっている、小さい手のためのピアノがありました。先生が提唱してメーカーに特注してつくらせたものです。
そのピアノで伴奏させていただきました。
1回目は多少の違和感があったものの、細かくレッスンしていただいて、最後にもう1回通して弾いたときには、もう全く手になじんで弾けました。
先生に「このピアノはあなたの手に合っています」と言っていただきました。
と言われてもね(笑)
仮に私もこのピアノを特注して自宅で弾いていたとして、コンサートの会場に同じサイズのピアノがなければかえって大変なことになります。
ピアノはほかの楽器のように自分の楽器を持ち運ぶわけにいきませんから。
先生のアイデアは素晴らしいけど、これが普及しなかった理由はだれの目にも明らかですよね。
先生はいろんな主張をして運動なさる側面があったようで、嫌煙運動も熱心になさって反響を呼んだそうですし、憲法問題など政治的な主張もなさったそうです。
あまり笑った顔の印象はありませんが、このレッスンで伺ったときは、私が楽譜に書き込むために持参した鉛筆を「ちょっと貸してください」とおっしゃって別室に行かれて、戻ってきたときはピンピンに尖らせて削ってありました。
鉛筆は尖っていないと気が済まない方だったんでしょうか(笑)
また、別の機会で合唱団の指導のために清水にみえて伴奏させていただいたときは、1回演奏した後で、合唱の指導の前に「ピアノはよく弾いていたと思います」とさりげなくねぎらってくださったり、優しい方だったという記憶が残っています。
世界じゅうのコンサートホールに先生の小さい手のためのピアノが普及していたら、私も「ラ・カンパネラ」を弾いたかもしれません。
コメントをお書きください
かりんとう (火曜日, 27 5月 2014 14:34)
5月22日ブログ、『私の手には・・・』と書いてあり、『お母様を思いだしてしまうからなのかな?手と書いてあるから他の理由かな?・・・』とちょっとよくわかりませんでした。
音楽の世界
『ふう~ん、そうなんだ。』と知らない世界をのぞくことができます~。
takeuchi (火曜日, 27 5月 2014 15:22)
かりんとうさん
「私の手には」というのは、文字通り、少し小さ目な私の手には、この曲は向いていないという意味です。
10度ぐらい届く大きさの手を前提につくられている曲だと思うんですね。
私の手は8度(1オクターブ)がつかめるぐらいで、いっぱいに広げれば9度がやっと触れるぐらいの大きさですから。
kimpira (水曜日, 28 5月 2014 08:44)
子供が練習する小さめのヴァイオリンというのは聞いたことがありますが、
特注して、小さめのピアノをお使いの方もいるんですね。
声楽家や作曲家など、演奏会場で実際にピアノを弾く必要のない方には便利なのでしょうが、
演奏家にとっては、確かに演奏会の度の搬入はおおごとですね。
音質はどうなんでしょうか。
素人の耳には全く遜色ないのでしょうが・・・。
takeuchi (水曜日, 28 5月 2014 09:56)
kimpiraさん
恐らく特注してこのピアノをつくらせたのは、提唱者の中田先生だけだったんじゃないでしょうか。
音質は普通のピアノと全く変わりありませんでしたよ。
ピアニストでもミケランジェリなんていう人は、ピアノに対しても大変要求が厳しく、専用のトレーラーを持っていて、自分のピアノを積んでヨーロッパじゅう演奏旅行に出かけるので有名でした。なかなか日本に来なかったのは、さすがに日本までは自分のピアノを持ってこられなかったからじゃないでしょうか。